diary 2003.06



■2003.06.01 日

 もう6月か。5月が待ち望んでいた月、6月。…いや、何となく。
 日曜日だけど、日付としては今日付けで、ひとりの男が一身上の都合により退職する。理由は一身上かも知れないが、原因は無数にあると思うのだけれど。ある人がそっと耳打ちする。彼は心のバランスを崩してしまったのだ、と。
 心のバランス。月並みな言葉。心についてのこういう表現を聞かされると、そこで時々立ち停まってしまう事がある。バランス、って何さ。何と何の間でバランスを取っているのかな。心ってのはやじろべえみたいなもの? バランスを崩してしまうと落ちてしまうもの? なら、落ちた心は何処へいってしまうのさ。

 多くの人が、心には2種類、あると思っている。強い心と、弱い心。強い心を持ちたい、心を鍛えたいと、そう思っている人もいる。
 でも、自分は、心の種類はひとつだけだと思っている。あるのは、弱い心だけ。強い心なんて存在しないのだと、そう思う。心を鍛えなさい、だなんて、それは無責任な言葉。

 心は、水面のようなものだと思う。静かな時には、鏡のように穏やかな水面。何かを投じられれば波紋が拡がり、風が渡ればさざ波が起こる水面。波は感情。波は水面を乱し、そこに映る景色、そして、水面を覗き込む自分自身の姿も揺らがせ、時には原型をとどめないほどに、激しく掻き乱す。
 そんな水面を、誰もが持っていると思う。そこが干からびてしまっている者などいない。凍てついている者などいない。どんな些細な事にも波立つ水面。そんな感じ易い水面、「弱い」心を、誰だって持っていると思うんだ。

 思い出せる限りでいうと、その中に無数の経験があり、でも自分はこれまで、取り乱すような心の乱れ方をした事はさほど無かったと思う。
 でも、それは心が強いからでも、クールだからでも、鈍感だからでも無いし、心乱されそうな状況を避け続けてきたから、でも無い(避けて避けられるものなら避けたいのだが、そういう状況はこちらの希望とは関わりなくやって来るものだ)。
 自分自身の心の弱さ。そして、心の感じ易さ。自分の心はそういうものだということを、自分は良く判っている。判っているつもりだ。だから自分は、自分が身を置いている「心乱す状況」から投げ込まれる様々なものからその「水面」をガードする、その術だけをおぼえてきたような気がする。
 鍛えて波立たない水面をつくる事など不可能だ。なら、水面に蓋をしてしまえ、と。

 強い心、弱い心の違い、なんてものは存在しない。あるのはただ、状況に応じて「蓋」をうまく開け閉めできるか、その違いだけだと思う。
 その蓋は状況に応じて開け閉めできるものでなくてはならない。閉ざすべき状況や人の前では閉ざし、水面が波立たないようにする。何かを感じるべき時、感情を伝える時。大切な人や愛する人の前。開くべき時にはその蓋を開き、その水面を曝け出す。そういう事ができるかどうか、なのだと。
 時折問題になるのは、どんな状況でも曝け出したままの水面と、ずっと蓋が被せられたままの水面。人の心はどんな些細なことにも波立ってしまう繊細な水面なのだと、自分は信じている。そして、ものごとを受け止めて感情の波立つ水面。感じやすい心。感情を受け止める心。それは人の持つ最も素晴らしい部分、でもあるのだと。

 ただ。何事に際してもその水面を曝け出したまま、その全てに感情の波を走らせる必要はないのだという事。全てを感情で受け止め続けていると、自分が参ってしまう。
 でも、心そのものを鍛えよう、と思ってはならない。開閉可能な蓋をするだけ。それだけだ。悲しむ時には、露な水面に存分に悲しみを波立て、悲しみと対峙する時には、悲しみが水面を波立てる前に蓋をする。他人の言葉にも、そして自分の言葉にも、蓋をする事が必要になる時もあるだろう。そして、悪化した状況の中でこそ、静かな水面に映るはっきりとした自分の姿を見詰める。そうした事が必要な時もある。とにかく、波立てるに相応しくない状況では、水面に蓋をする事も大切なのだと思う。
 そして何よりも、避け続けないことだ。水面にどんな小さな波も立たない状況。心地よい波しか立たない状況。そのような状況の中に身を置き続ける、そればかりを望んではならない。立ち直るためにはそうした状況も必要だけど、人生。必ず望まない状況と対峙しなければならない、そんな時がやってくる。避け続けられるかどうか、ではない。そういう時にしっかりと、自分の心をガードできるかどうか、なのだ。

 人と比べて自分の心がとりわけ弱いだなんて、思わないこと。
 自分の心も他人の心も、心は全て繊細なものだという事を知ること。
 何事にも動じない心、そんなものをつくるのではなく、それは元々弱いものを、必要に応じて自分で護ってやるものなのだ、ということ。
 心とはそういうものなのだと、今の自分は思う。

 まぁ、俺だって。日常の殆どでは水面に蓋をしているけれど、露にする所では露にしているよ。泣いたり悩んだりしている時。そして、こういう所に何か書きながら、自分と向き合っているような時には、ね。

 こういう事を書いている時の自分は、心の蓋を外しているかも知れない。
 ただ、今のところ。それをあまり多くの人の前では露にしていない、というだけさね。
 そこは自分の弱点でも、あるわけだから。


■2003.06.04 水

 昨日は札幌の気温もかなり上がったらしい(不在だった)が、今日は寒さのぶりかえし。うたたねから目醒めたら肌寒かったので、ストーブを焚いた。やはり「肌寒い」という程度の寒さは、苦手だ。
 職場で昼休みにテレビを見ていたら、「ももたろう」や「さるかに合戦」や「かちかちやま」などのお伽話を、残酷な描写や差別的な描写を排除したものに改作した物語が出版されていて、それが是か非か…というような話をしていた。要するに「お伽話の残酷な描写は子供に悪影響を与えるから排除すべきだ」という意見と、「残酷な描写も含めてそれは文化なのだから手を加えるべきではない」という意見のぶつけ合い。当然スタジオトークなのでまともな結論は出ないのだが、まぁそういう考えもあるのかな、と、見ていて面白かった。
 読んだ事はないが、番組での説明によると、アレンジされた物語はとても真面目な考えの元に改作されたものらしい。イヌサルキジは家来ではなく仲間。鬼を懲らしめた後は財宝を奪い返すのではなく、懲らしめられた鬼がごめんなさい、と返しにくる。かちかちやまの婆さんは死んだりしないし、勿論鍋にもされない。サルとカニも仲良く暮らしましたとさ。と、そういう設定。
 番組自体はそんな作者を否定の意見でフクロにする内容だったけれど、別にいいんじゃないかと思う。毒の無いお伽話は面白くない。面白くないものは残らない。毒があっても面白くても残るかどうかは判らない。それに、お伽話の毒よりももっと深刻な毒がもっと身近なところに溢れている訳で、お伽話をどうこうするよりは、そっちの方をなんとかした方が…云々と。
 それにしても。このお伽話に限らず、こうした毒抜き運動は時々、その運動そのもののパロディ化のように思えてしまう事がある。どうせならお伽話も徹底的に毒抜きして、その過剰ぶりをパロデイにしてしまえば面白いかも知れない。


■2003.06.05 木

 おじいさんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に…ではない。男性は労働、女性は家事、という性的な役割分担を想起させるこうした表現は、当然排除の対象になる。とにかく桃を拾ってきて包丁を入れる。いや、読者には中に人がいることが判っているのだから、刃物はまずいでしょう。カット。まぁとにかく桃を割って、でも、飛び出してきた桃太郎にはちゃんと腰布が巻かれていたりする。
 やがて桃太郎は鬼退治に行くけれど、勿論武器は持たない。問題を平和的な手段で解決するつもりだ。で、きびだんごを持って旅立つと最初に犬に出会って、家来ではなく仲間になる訳だが、本来が肉食獣である犬にきびだんごを与えるような真似はしない。動物の食性を無視したそういう描写があるから、北海道では観光客がキタキツネにスナック菓子を与えてしまい、キツネ達の健康を脅かす事態が発生しているのだ。ちなみに野生動物であるサルとキジにも、桃太郎はみだりに餌を与えたりはしない。
 …と、昨日思った通り書くと、出だしからしてこんな展開になってしまった。キリがない。

 野球中継に引き続き、ドラマ「動物のお医者さん」をはじめて見た。姉貴がこの原作のマンガのフアンで、以前実家で飼っていたニワトリを、マンガ(現ドラマ)に出てくるニワトリと同じ「ひよちゃん」という名前で呼んでいた。
 実家のニワトリ、というのは元々、自分が中学生の時に買ってきた縁日ヒヨコで、それからおよそ8年生きた。で、大体の生態はそのマンガとほぼ同じだった。とにかく、人間であれなんであれ、動くものを見ると攻撃してくる。
 マンガのひよちゃんは「最強」という設定だが、こちらのひよちゃんもほぼ無敵だった。戦った相手、というのは犬、猫、近所の子供、長靴、傘、網戸、ビニールハウス等様々で、それらを相手に無敵の輝かしい戦績を残している。

 ただ、その8年間で唯一、黒星を喫した相手がいる。
 ある日の夜、普段は静かな鳥小屋で、ニワトリがバタバタと大騒ぎしていた事があった。で、自分が懐中電灯を持って見に行くと、真っ暗な小屋の中で大暴れしている。照らしてみるとニワトリの喉…顎の下のトサカが垂れ下がっている部分…に、何かがぶら下がっていた。
 小屋を空けて良く照らしてみると、それは体長25センチ(体長の半分近くが尻尾なので、それほど大きくはない)ほどのイタチだった。
 トリ目のニワトリは何もできずに、イタチをぶら下げたままバタバタしているだけ。イタチもイタチで、傍に人がいて懐中電灯で照らしているのに逃げもせず、喰らいつき続けている。自分は地面に垂れ下がっていたイタチの尻尾を足で踏んだ。そうして離そうとしたけれど、なかなか離れない。そうこうしているうちに、親父が出てきた。で、「手ェ出すなよ、噛まれるぞ」と言うので手も出せない。
 尻尾を踏んだまま「どうするよ、コレ」と親父に訊く。親父は「離すな」と言って、こちらにやってきた。そうして自分とイタチの前に立つと、蹴り一発でイタチをニワトリの喉から引き離し、間髪をいれずに、長靴の靴底で「ドン」と踏み潰した。「逃がすとまた戻ってくるからな」と。
 全てが終った後には、興奮状態のニワトリと、尻尾をまだ踏まれたままひしゃげたイタチが残された。イタチの死体からは、それまで話に聞いていたような匂いはしていなかった。その事を訊くと、親父は答えた。「即死させたからな」。
 親父にとってイタチは常に鳥小屋を荒らしにくる害獣だった。そして子供の頃はそれを退治するのが、自分の仕事だったという。竹筒で作った罠でよくイタチを捕らえ、その毛皮で小遣い稼ぎをしたのだと。つまり、こうしたことに慣れていたのだ。

 ドラマを見てそんな事を思い出していた。


■2003.06.06 金

 6月6日にUFOがぁ〜、あっちいってこっちいって落っこちてぇ〜。
 そんな鼻歌を歌いながら過ぎ去って行く人を見た…いや、見てしまった日。おかげでしばらくドラえもんを書きたい衝動から逃れられなかった。

 夏場は外で行われる職場の朝礼で、そこの長の人が並ぶ皆を前に話をしている間。その頭上高いところに留まったヒバリが、ずっとやかましく囀り続けていた。余りにも陽気な囀りのため、話は時折中断し、その度に皆が空をキョロキョロし、天にその姿を追い求めた。でも、よほど高いところにいるのか、なかなかその姿が見つからない。ただ天から降り注ぐ歌声。
 朝礼後ようやく見つけたヒバリの姿は、自分たちの頭上よりもやや後ろの上空にあった。建物か何かの加減で、真上で囀っているように聞こえたのだろう。

 自宅近くでよくカラスに襲われる、という人が、奴らはどうして後ろから襲ってくるのかねぇ、と自販機のある休憩所でそんな話をしていた。それはまぁ、こちらがカラスにする事と同じだ。カラスを追い払おう、だとか、ちょっとからかってやろうと思ってカラスに石を投げる時。カラスは石を拾う素振りを見せただけで逃げてゆくから、そういう時。人はカラスがこちらを見ていない隙をみて石を拾う。カラスと目が合った時には、とぼけてそ知らぬ顔をする。投げる時も同じだ。カラスはモーションに入っただけで逃げて行くので、投げる時もやはり、カラスの隙を見て投げる。
 動物界で相手の正面から攻撃を仕掛ける生き物、というのは、圧倒的な力の差がある事が判っている場合を除くと、ごくごく稀だろう。繁殖期のカモメも、やはりこちらの視界の中にいるものは襲ってこない。顔のある方向からは襲ってこないから、襲う時は必然的に背後から、となる。
 …ただし、ニワトリは除く。彼らは、相手がどの方向を向いているか、相手の大きさや力がどれくらいか、という事にはあまりこだわらない。

 とにかく。見られている、と意識させれぱ、カラスは襲ってこないのだ。
 「後ろに目つけておいたら後ろから襲われないっスよ」そう言ってみる。 「どうやって!」 「いや、レッサーパンダの帽子を逆向きに被って歩く、とか」 話は周りに伝播する。「…ああ、缶バッチに目玉の絵を書いて、帽子の後ろに付けるとか?」 「いいねぇ。サングラスを後頭部にかけるとか!」 「ほら、**のロッカーにある猪木のゴムマスクを後ろに…」 「ピンポン玉を半分に割って目玉を…」 「帽子の周囲にぐるっと付けておいたらどの方向からの攻撃も…」 以下略。次第にカラスじゃなくても近付きたくない人になってゆく気がする。

 「それを何ていうか知ってるか?」 ふと、ある人が言う。他の者は皆「?」。
 「…そういうのを『擬態』と言うんだ!」 つまり、我々が導き出した数々の画期的なアイデアは、蛾の羽の目玉模様と同じレベルの事らしい。
 珍しく、茶飲み談義で気のきいた結論が出た。「なら、人間も蛾に習って後頭部を擬態すればいいのだ!」と。

 ただし、ニワトリ相手の場合は背後から襲われる被害が増すかも知れないが。
 ま、恥ずかしくない程度にやって下さい。


■2003.06.12 木

 先の月を見るためにカレンダーを捲りながらふと思う。
 カレンダーというのは自分が取っている新聞社の販売店から頂いたもので、レイアウトの下半分が暦、上半分が北海道の自然の風景写真になっている。カレンダーなので当然、映し込まれている風景は、春なら春らしい風景。夏は夏らしく、秋は秋らしい風景。もちろん、冬も冬らしい風景…といった感じのもので、1枚毎、その月の四季折々の、変化に富んだ構成になっている。
 それを見ていて、この街には意外と、このカレンダーの写真のような四季の変化に富んだ風景、というものが少ないのかも知れないな、と思った。

 いゃまぁ。ちょっと辺りを見渡せば、そういうものが無数にある事は判っている。判ってて言っている。ただ、こうした人口100万以上の都市に住んでいると、ひょっとしたらそういうものを見ずに、四季の移り変わりとは疎遠な所で、生きる事もできてしまうのかも知れない。
 あえて言う事もないのだが、街の地平が見えてしまうこんな大都市では、風景の中に人が造ったものの占める部分が多過ぎるのだ。
 そして、そういうものは季節がどう変わろうが、その姿を変えることはない。道行く人々の服装は変わったりするけれど、別に秋がきたからといって街並みが紅く色付いたり、春が来たからといって緑鮮やかに萌え出したりするような事はない。

 この街での人が造ったものとそうではないものの割合を入れ替えると、自分が以前に住んでいた町になるだろう。
 そこでは季節の移り変わりに応じて、周りの世界は様々にその色、姿を変化させていた。そして、そこに住む人々は否応なしに、そうした移り変わりと接することになる。
 窓の下に暦だけを貼っておけば、それで四季折々の風景写真を載せたこのカレンダーのようになってしまうのが、そうした町だった。

 ただ。

 だから都市では季節感が感じられない云々、という訳ではない。
 ここは北海道だ。雪降り積もる冬がある。冬だけはこの街も、隅々まで冬の色に染まってしまう。どれだけ季節の変化にも揺るがない風景ばかりに囲まれようが、たったひとつだけ、確実な季節がこの街にはあるのだ。

 その点、雪国の人間は恵まれていると思う。


■2003.06.19 木

 暑い1日。今週は何かとバタバタ忙しい。今日もだ。暑い事務所の中で、バタバタ、バタバタ。ふと、開け放たれた窓から、微風と共にポプラの綿毛が舞い込んできた。フワフワと。大きな綿毛は室内の風の流れに沿って、事務所の中をすーっと横切り、廊下に繋がるドアをくぐって再び外へと去ってゆく。事務所ではバタバタが続いている。


■2003.06.22 日

 深夜、垂れ流しのテレビから、歌が流れてきた。

 シーア ワーセーニ ナール タメーニ ワーターシ ターチ チーカーッタ…
 幸せになるために、わたしたち誓った。

 ああ、このメロディ憶えている。歌詞はここまでしか憶えていないけれど。でも、はっきりと。夜中の「NHKアーカイブス」で、ずっと以前の連続テレビ小説「ええにょぼ」が再放送されていた。そのオープニングテーマだ。
 このドラマが放送されていたのは、10年前。自分が以前にこの街にすんでいた時だ。当時下宿していた家の叔母さんが毎朝欠かさずに見ていて、時折この歌を口ずさんでいた。だから、憶えている。…いや、よく憶えていたもの。当時は毎朝のように聞いていたとはいえ、10年前。自分が18歳の時、平成5年の話なのに。このメロディーと歌い出しの歌詞は、これまで一体自分のどこにしまわれていたのだろう。

 テレビに目を向けた。海岸…というよりは、岸壁の水際ギリギリのところに変わった形の家が建ち並んでいる。そして、家のすぐ前に船が係留されている。家の1階部分はガレージのようになっていて、その中に船が引き上げられている。
 ああ、どこかで聞いたような、見たような風景だな、と思って、それが「舟屋」と呼ばれる家屋だということに、ふと気付いた。伊根という町にそうした面白い家屋群がある、ということを、つい最近、ある方から教えてもらったばかりだった。
 びっくりして、それから少し可笑しくなった。そうして教えてもらって始めて「舟屋」というものを見知ったはず、だったのだけれど、テレビではずっと以前に見た事があった訳だ。憶えていなかっただけで。

 でも、相変わらず曲だけはしっかり憶えていて、それが懐かしい。オープニングのテロップに伊根の地名が現れ、その風景が間違いなくそれであることを裏付ける。10年前には素通りしていったテレビドラマの風景を、今はまたその時とはちょっと違う、可笑しいような不思議なような気持ちで見ている自分がいる。
 何というのだろう。今も昔も関係なく、自分の中に外にごちゃごちゃになって、お互いに何の関係もなく存在している様々なものが、ふとした切欠で繋がりを持ち、連鎖してゆく。そういう瞬間が時たまだけど、自分には確かにある。
 そういう連鎖はいつも突然に現れて、自分を驚かせる。そしてその連鎖は、時に書くのも躊躇われるほど出来すぎたもの、だったりもする。10年前、この街にいた時。その時住んでいた家に行き、先に書いたその歌を口ずさんでいた叔母さんに会ってきたのもまた、つい昨日のことだったのだ。
 

■2003.06.24 火

 毎年このくらいの時期になると、その年の新入社員と呼ばれる人達をひとくくりにして、「今年の新入社員は〜型」とネーミングを付けて発表する事で有名な団体があったけれど、今年からはそれをやらなくなった、というような記事を新聞で読んだ。ちなみに昨年度は「抱き枕型」で、調べて見ると自分が「新入社員」だった平成8年度には「床暖房型」と名付けていた所だ。止めた理由はまぁ、「掴めなくなった」という事らしい。
 毎年この「〜型」というのが発表されると、あちこちでそれが引き合いに出されて語られるので、目にする機会は多かった。けれど、その「〜型」というのがいつも、あまりにも自分の実感と無関係なので、あまり好きではなかった。
 名付け親が実際に、一体どれくらいの、どういった集団と接してそういうネーミングを発表しているのかは知らないけれど、恐らく氷山で言えば水面から出ている部分の一角を見ているだけで、全体の大部分を占める水面下の部分には目を向けていなかったのだろう、と思う。そういうものを見ていれば、一部分だけの傾向をとらえて「〜型」などというネーミングなど、できるはずがないから。いや、そういう所がようやく見えるようになってきたからこそ、「〜型」というネーミングの発表を止めた、のかも知れないが。
 ある集団の中では、特定の傾向、というものも確かにあるかも知れない。でも、その傾向を全体に広げて同じ型でとらえることは、不可能だ。これまでその「〜型」というネーミングをもてはやしてきたのは、その名付け親が見ていた部分と同じ集団としか接していない人々か、とにかく新入社員というものを茶化したい人々か、あるいは新入社員と全く接触を持たない人々、だったのだろう、と思う。
 とにかく、「掴めなくなった」というのは当然のことで、元々「〜型」ととらえようとする事自体に無理がある。でも、新入社員、というものを、どうしてもひと言で表現したい、というのなら、適切な言葉が無い訳でも無い、と思う。

 そのひと言とは、『十人十色』。

 今から10年前だろうが、10年後になろうが、それだけは絶対に変わらない。

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